2006年 04月 03日
国境の長いトンネルの中には...
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。

川端康成がこの小説を書いたのが、昭和9年から12年である。このころ上越線にある"国境の長いトンネル"(清水トンネル)は一つしか存在していなかった。

単線であった上越線は、戦後の高度経済成長にあわせ複線化され、もう一本の"国境の長いトンネル"(新清水トンネル)が掘られ、有名な土合(どあい)駅のホームができた。
# のちに、上越新幹線の大清水トンネル、関越自動車道の関越トンネルが開通し、"国境の長いトンネル"は、計4本になる。

この土合駅の下りホームは2本目の"国境の長いトンネル"(新清水トンネル)の中にあり、駅舎からは480段以上の階段を降りなければ到達しない、そんなファンキーな駅なのである。

先日も書いた越後湯沢への旅行の途中で、このヘンテコな土合駅にも立ち寄ってみた。
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かつては有人駅であったであろう立派な駅舎は無人駅となっており、他に誰もいない構内は静まりかえっていた。
そんな駅の中にいると、水が流れる音と、ときおり「ドスン」と、屋根に積もった雪が解けて地面に落ちる音だけが響く。

待合室には、この"国境の長いトンネル"についての説明書きが張られている。

3本の清水トンネルの歴史
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・清水トンネル
  • 上越線を東京と新潟を結ぶ幹線と定め、こう配を10/1000、最小曲線を400mとして検討したところ、上越国境を横断するには約20kmのトンネルが必要になるので、このような長大トンネルは経済上からも技術上からも疑問が出ました。そこで特に山間部の最急こう配を20/1000に改めて、現清水トンネルの方針が決まりました。
  • 大正8年6月より実測を開始しましたが、上越国境茂倉岳付近は険しい山々や積雪も多く、さらに頂上付近での測量は雲や霧が間断なくおそい、夏季数ヶ月の間しか測量ができないため、中心線の実測は約3年かかり、清水トンネルの両坑口の位置が決まりました。
  • 清水トンネルは、群馬県水上町土合に坑門を設け、茂倉岳を直線に貫通して、新潟県湯沢町土樽に出口を求めた延長9,702m33cmの長大トンネルで、この全長を二分し、群馬県の4,761m65cmを東京建設事務所、新潟側の4,940m68cmを長岡建設事務所の所管として工事が施工されました。大正11年8月18日にまず土合口で最初のひと鍬が入れられ、次いで大正12年10月6日土樽口が着手し、以来その完成までには、9年4ヶ月の歳月がかかりました。
  • 工事は大湧水と岩ハネとの闘いで苦難の連続でした。犠牲者も土合口で18名、土樽口で26名にも上り、上越線建設の上で最大の工事であったことは、言うまでもありません。工事に働いた延人数は、291万1,444名であり、総工費は1,172万5,320円90銭3厘で、現在の金額では約50億円となっています。

・新清水トンネル
  • 新清水トンネルは、湯桧曽・土樽間にあって上越国境の谷川連峰、一ノ倉岳、茂倉岳の直下を通り、旧清水トンネルと平面的にほぼ並行して土樽に至り、延長13,500m50cmの長大トンネルです。工事は昭和38年9月20日に着手し、昭和42年10月完成するなど、旧清水トンネルと比較すれば、長さで1.4倍、工期は半分以下でした。尚、総工費は約59億円、延べ使用人数は160万人といわれています。
  • トンネル工事は、岩ハネや毎分31トンという大湧水にみまわれ、作業速度が著しく低下しました。岩ハネ現象は世界でも珍しく、日本では新・旧および大清水トンネル以外では生じていません。尚、「岩ハネ」現象とは、亀裂の少ない堅固な岩バンに生じ、特に側壁部に著しく、数cmから数cm角の岩片が異音を発して小片はハネ飛び、大きいものはハクリ落下する現象です。
  • トンネル内に湯桧曽と土合の駅があり、国鉄初めての地中駅です。トンネル内の土合駅は、地上にある上り線と約400m離れ、82mの高低差があり、ホームから地上までの階段は、将来エスカレーターを設ける余裕を残して、4m幅、486段あります。
  • トンネル工事中、湯桧曽入り口から入って230m付近で52℃の温泉が湧出ましたが、地元温泉権者や利用者からの苦情があり、湧水箇所にセメントや薬剤を注入して止水しました。又、既設の温泉源の減少、又は枯渇に備えて、分湯・給湯できるよう、地下道入口までパイプで引湯してあります。
  • 軌道は、ポイントの個所以外はすべてコンクリート直結道床とし、800mロングレールが使用されています。又、枕木は23,514本が施設され、ちなみに旧清水トンネルは15,705本となっています。

・大清水トンネル
  • 上越新幹線約270kmの内、トンネルは全部で22ヶ所、延長にして106.7kmあり、全体の40%を占めています。トンネルは、関東と新潟の分水嶺で急峻な上越国境を中心に群れています。このトンネルは将来時速260kmの高速運転に耐えるよう、最小曲線半径4,000m、最急こう配15/1000以下というきびしい建設基準上の制約を受けています。
  • 大清水トンネルの掘削は昭和47年6月に6工区に分割された各斜抗・横坑から着工し、昭和55年5月に工期8年5ヶ月、総工費470億円で完成しました。新清水トンネルに比して、工期1/3、工費1/2となっています。大清水トンネルの完成は、昭和57年11月に、上越新幹線を開通させ、太平洋側と日本海側の時間、キョリを飛躍的に短縮させました。大清水トンネルは新幹線で8分30秒で通過します。
  • 大清水トンネルを掘り抜いた上越国境は、昔から交通の難所であり、これを解消するため大正時代着工の清水トンネルを始めとして、新清水・大清水トンネル等の鉄道トンネルと、関越自動車道の関越トンネルが集中しています。これらの中で大清水トンネルは延長22,221mと最も長く、最も深いトンネルであり、他のトンネルと5ヶ所で交差しています。
  • 建設工事は谷川岳直下の最も深いところを掘ったため、岩ハネ現象が多く発生しました。特に深さ800mから1,100mの区間に最も多く発生し、大きいもので厚さ15cmで2m四方程度の岩片が突然ハネてくるので、工事は難航し、岩にロックボルトを打ちつけ、金網を二重に張ることによって、坑内作業の安全を確保しました。
土合駅より
(原文に対して、「仂く」→「働く」と言った置き換えや、カンマ、句読点を適宜付与しています)

雪国を書いた川端康成も、まさか国境の長いトンネルの中に駅が出来るとは、思いも寄らなかったことだろう。

文章中にホームまでの階段には「将来エスカレーターを設ける余裕を残して」とあるが、いまだにエスカレーターは設置されていない。
というより、これからも設置されないだろう。

名所案内には、"谷川岳"とならんで"地下ホーム"と書かれている。
たしかに、階段の前に立つと衝撃を覚える。ほとんどの人は、いままでの生活の中でこれほど長く続く階段は見たことがないことだろう。

どこかのサイトで、「日本一のバリアフリー駅」と書かれてあったが、この言葉はなかなかうまい表現である。
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480段余りの階段を下りていると、途中に休憩用のイスがあったり、観光名所としての心配りもバッチリである。
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残り3分の1ぐらいまで降りたところで、上の方から悲鳴が聞こえてくる。
駅の観光に来たグループが、この果てしない階段を見て思わず悲鳴を上げてしまったようだ。

電車は冬期の休日に8往復、それ以外は5往復しかないものの、水上駅から谷川岳へのバスが土合の駅前を通り、比較的本数が多いため、組み合わせて行くと訪問は容易である。
一見の価値があるので、近くに行かれる際は是非この階段を登り降りしてみていただきたい。
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by touch-go | 2006-04-03 14:39 | コラム


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