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2006年 04月 05日
阿佐ヶ谷新生活ガイド【生活編その①】
阿佐ヶ谷新生活ガイド【生活編その①】_b0050623_14332067.jpg東京では桜もそろそろ見頃を終え、浮かれ気分で始まった4月もようやく落ち着いてきた。
電車に乗っていると、新社会人らしい男女も長い休みからなんとか生活を切り替えつつあるように見える。

そんな新生活が始まる4月、阿佐ヶ谷にすみかを構え、生活を始めた新入生や新入社員も多いことだろう。
ここでは、そんな阿佐ヶ谷ビギナーに、阿佐ヶ谷における新生活を送る上でのちょっとしたガイドを老婆心ながらまとめてみたいと思う。

  • ティッシュペーパーが無くなりそうになったら、土日の駅前に向かえ
    週末、阿佐ヶ谷の駅前を北口から南口へ、パールセンターに少し入り、また帰ってくる、と言う行路を取れば、配布しているティッシュでかばんが一杯になるハズだ。

  • ひとり寂しくテレビを見るのが嫌なときは、パールセンターへ集合せよ
    スポーツの中継などを週末ひとりで観ているのが寂しいと感じた場合は、パールセンターの「まや商会」の店頭に行こう。昭和30年代の街頭テレビさながらの状態で、多くの人が中継を見入っており、水道橋のベースボールカフェ以上にライブ感が共有できる。
    気が付くと福留のホームランについて、見ず知らずの人と議論をしてしまっている自分に気が付くはずだ。

  • ジャズ・バーに行く前には予習を行うこと
    阿佐ヶ谷にはジャズ・バーが多く、各店こだわりのジャズを聴かせている。概ね初心者には優しい店が多いものの、即興で演奏するというジャズのリクエストを受け付けた際に「ミッキーマウスマーチ」をオーダーしてしまうのは、あまりにも世間知らずと言うことになる。
    場合によっては店から出入り禁止にされてしまうことになりかねないので、せめてジャズストリートのホームページぐらいはチェックしてから、訪問するのが礼儀と言うものだ。
    基本的には、初心者である自分にあなた様のお知恵を伝授してください、というパターンが主流となるものの、これはこれで結構気を遣うことである。慣れない人は、タクシーで運ちゃんとの会話を持たせる練習、などを行っておくとベターだ。

  • 犬ぎらいははやいうちに克服せよ
    阿佐ヶ谷パールセンターを歩いていると、かなりの大型犬に出くわす可能性がある。しかも、黒いのやら白いのやら何頭かの大型犬が阿佐ヶ谷には存在しており、いつ面と向かい合うことになるかは予測が付かない。
    特に男性の場合、彼女を初めて阿佐ヶ谷に招待したようなときに、パールセンターをのしのし歩いている犬を怖がってしまったら、彼女から失望の眼差しを受けてしまうことは避けられない。
    二子玉川の「いぬたま」は閉園してしまったものの、ここは伊東にある「ドッグフォレスト」あたりで、はやいうちに犬嫌い克服の強化合宿を行っておくべきである。

これらは、阿佐ヶ谷で生活する上での生活の知恵のごく一部であるものの、これらのことに注意を払い、一日も早く充実した阿佐ヶ谷ライフを過ごしましょう!

# by touch-go | 2006-04-05 14:43 | コラム
2006年 04月 04日
国境のトンネルにまつわるエトセトラ
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。

前回、前々回と、この"国境の長いトンネル"である上越線の清水トンネルと新清水トンネルの両側にある駅についてつらつら書いてみた。
少々しつこいが、またもやこのトンネルに関する話題を取上げてみたい。

このトンネルを挟む、水上駅~越後中里駅間には、さきに書いた土合駅、土樽駅に加え、湯桧曽という3駅があるが、今の時期だと平日5往復、休日6往復しか列車がやってこない。

この区間は、上越新幹線の開通によって、東京と新潟を行き来する乗客を完全に新幹線に奪われている。
しかも、土合、土樽は周辺に人家が見あたらないため、この数往復の列車は、さきに書いたように、山歩きをする人と青春18切符で旅行するような人が主な客層であるように見える。

だからといって、利用者が少なくても、ファンキーな土合駅やトンネルを抜けた雪景色を堪能できるこの区間を廃止する、などと言うことは考えないで欲しいものだ。
国境のトンネルにまつわるエトセトラ_b0050623_14142433.jpg
過去の新聞を見ると、ファンキーな土合駅を抱える区間だけあって、ワンダホーな記事が載っている。
懐中電灯だけでトンネル通過 JR上越線、室内灯スイッチ入れ忘れ
【2003年10月18日 東京読売新聞 朝刊】

17日午後1時40分ごろ、水上町湯檜曽のJR上越線湯檜曽駅で、水上発長岡行き下り普通電車(三両編成)の室内灯がすべて消えているのに車掌が気付いた。
約20分間停車して点検したが原因が分からず、乗客約60人を最後尾の車両に集めて運転を再開。乗客らは、新清水トンネル(全長約13.5キロ)を通過する約15分間を備え付けの懐中電灯四本で過ごした。乗客は越後湯沢駅で別の車両に乗り換えた。

JR東日本高崎支社によると、車掌側の運転台にある室内灯のスイッチが入っていなかった。男性車掌(22)は「スイッチを入れたつもりだった」と話しているという。
13キロ余りのトンネルを懐中電灯だけで通過する。ある意味アミューズメントである。トンネルの中にある土合駅でこの電車を待っていたら、1両目2両目とも真っ暗で人が乗っていないこの電車を見て、かなりびっくりしたことだろう。

さらに、こんなファンキーな人もいた。
上越線清水トンネルを歩いた男女を逮捕 鉄道営業法違反の疑い
【1998年9月9日 朝日新聞 朝刊】

7日午後9時10分ごろ、JR上越線清水トンネル(全長13.5キロ)下り線で、普通列車の運転士から、二人の歩行者を見たとの通報がJR東日本新潟支社にあった。
約一時間半後、群馬側から約9キロの地点で、同支社の保線区員が、横浜市の無職男性(53)と女性(56)の夫婦を見つけ、鉄道営業法違反の疑いで現行犯逮捕した。

沼田署の調べでは、土合駅から徒歩で同トンネルに入り、新潟側に抜けようとしたらしい。
捜索の間、上越線は土合―土樽間が約三時間運転を見合わせ、上下四本、約九百人に影響が出た。
駅の460段余りの階段を降りたぐらいでは、健脚ぶりが満たされなかったのだろうか。
もしくは、隣の駅までは、阿佐ヶ谷と高円寺の間くらい距離であろうと思いこみ、歩いていたのかも知れない。

普通列車の運転士も、さぞびっくりしたことだろう。
国境のトンネルにまつわるエトセトラ_b0050623_14155368.jpg
"いよいよ谷川岳です"と、まっしぐらにトンネルを目指した夫婦も、なかなか斬新な発想の持ち主である。
次は新幹線の大清水トンネル(全長22km)でチャレンジして欲しい。
国境のトンネルを歩いて抜けるのは絶対にやめましょう。

# by touch-go | 2006-04-04 14:20 | コラム
2006年 04月 03日
国境の長いトンネルの中には...
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。

川端康成がこの小説を書いたのが、昭和9年から12年である。このころ上越線にある"国境の長いトンネル"(清水トンネル)は一つしか存在していなかった。

単線であった上越線は、戦後の高度経済成長にあわせ複線化され、もう一本の"国境の長いトンネル"(新清水トンネル)が掘られ、有名な土合(どあい)駅のホームができた。
# のちに、上越新幹線の大清水トンネル、関越自動車道の関越トンネルが開通し、"国境の長いトンネル"は、計4本になる。

この土合駅の下りホームは2本目の"国境の長いトンネル"(新清水トンネル)の中にあり、駅舎からは480段以上の階段を降りなければ到達しない、そんなファンキーな駅なのである。

先日も書いた越後湯沢への旅行の途中で、このヘンテコな土合駅にも立ち寄ってみた。
国境の長いトンネルの中には..._b0050623_1345297.jpg

かつては有人駅であったであろう立派な駅舎は無人駅となっており、他に誰もいない構内は静まりかえっていた。
そんな駅の中にいると、水が流れる音と、ときおり「ドスン」と、屋根に積もった雪が解けて地面に落ちる音だけが響く。

待合室には、この"国境の長いトンネル"についての説明書きが張られている。

3本の清水トンネルの歴史
国境の長いトンネルの中には..._b0050623_13412792.jpg
・清水トンネル
  • 上越線を東京と新潟を結ぶ幹線と定め、こう配を10/1000、最小曲線を400mとして検討したところ、上越国境を横断するには約20kmのトンネルが必要になるので、このような長大トンネルは経済上からも技術上からも疑問が出ました。そこで特に山間部の最急こう配を20/1000に改めて、現清水トンネルの方針が決まりました。
  • 大正8年6月より実測を開始しましたが、上越国境茂倉岳付近は険しい山々や積雪も多く、さらに頂上付近での測量は雲や霧が間断なくおそい、夏季数ヶ月の間しか測量ができないため、中心線の実測は約3年かかり、清水トンネルの両坑口の位置が決まりました。
  • 清水トンネルは、群馬県水上町土合に坑門を設け、茂倉岳を直線に貫通して、新潟県湯沢町土樽に出口を求めた延長9,702m33cmの長大トンネルで、この全長を二分し、群馬県の4,761m65cmを東京建設事務所、新潟側の4,940m68cmを長岡建設事務所の所管として工事が施工されました。大正11年8月18日にまず土合口で最初のひと鍬が入れられ、次いで大正12年10月6日土樽口が着手し、以来その完成までには、9年4ヶ月の歳月がかかりました。
  • 工事は大湧水と岩ハネとの闘いで苦難の連続でした。犠牲者も土合口で18名、土樽口で26名にも上り、上越線建設の上で最大の工事であったことは、言うまでもありません。工事に働いた延人数は、291万1,444名であり、総工費は1,172万5,320円90銭3厘で、現在の金額では約50億円となっています。

・新清水トンネル
  • 新清水トンネルは、湯桧曽・土樽間にあって上越国境の谷川連峰、一ノ倉岳、茂倉岳の直下を通り、旧清水トンネルと平面的にほぼ並行して土樽に至り、延長13,500m50cmの長大トンネルです。工事は昭和38年9月20日に着手し、昭和42年10月完成するなど、旧清水トンネルと比較すれば、長さで1.4倍、工期は半分以下でした。尚、総工費は約59億円、延べ使用人数は160万人といわれています。
  • トンネル工事は、岩ハネや毎分31トンという大湧水にみまわれ、作業速度が著しく低下しました。岩ハネ現象は世界でも珍しく、日本では新・旧および大清水トンネル以外では生じていません。尚、「岩ハネ」現象とは、亀裂の少ない堅固な岩バンに生じ、特に側壁部に著しく、数cmから数cm角の岩片が異音を発して小片はハネ飛び、大きいものはハクリ落下する現象です。
  • トンネル内に湯桧曽と土合の駅があり、国鉄初めての地中駅です。トンネル内の土合駅は、地上にある上り線と約400m離れ、82mの高低差があり、ホームから地上までの階段は、将来エスカレーターを設ける余裕を残して、4m幅、486段あります。
  • トンネル工事中、湯桧曽入り口から入って230m付近で52℃の温泉が湧出ましたが、地元温泉権者や利用者からの苦情があり、湧水箇所にセメントや薬剤を注入して止水しました。又、既設の温泉源の減少、又は枯渇に備えて、分湯・給湯できるよう、地下道入口までパイプで引湯してあります。
  • 軌道は、ポイントの個所以外はすべてコンクリート直結道床とし、800mロングレールが使用されています。又、枕木は23,514本が施設され、ちなみに旧清水トンネルは15,705本となっています。

・大清水トンネル
  • 上越新幹線約270kmの内、トンネルは全部で22ヶ所、延長にして106.7kmあり、全体の40%を占めています。トンネルは、関東と新潟の分水嶺で急峻な上越国境を中心に群れています。このトンネルは将来時速260kmの高速運転に耐えるよう、最小曲線半径4,000m、最急こう配15/1000以下というきびしい建設基準上の制約を受けています。
  • 大清水トンネルの掘削は昭和47年6月に6工区に分割された各斜抗・横坑から着工し、昭和55年5月に工期8年5ヶ月、総工費470億円で完成しました。新清水トンネルに比して、工期1/3、工費1/2となっています。大清水トンネルの完成は、昭和57年11月に、上越新幹線を開通させ、太平洋側と日本海側の時間、キョリを飛躍的に短縮させました。大清水トンネルは新幹線で8分30秒で通過します。
  • 大清水トンネルを掘り抜いた上越国境は、昔から交通の難所であり、これを解消するため大正時代着工の清水トンネルを始めとして、新清水・大清水トンネル等の鉄道トンネルと、関越自動車道の関越トンネルが集中しています。これらの中で大清水トンネルは延長22,221mと最も長く、最も深いトンネルであり、他のトンネルと5ヶ所で交差しています。
  • 建設工事は谷川岳直下の最も深いところを掘ったため、岩ハネ現象が多く発生しました。特に深さ800mから1,100mの区間に最も多く発生し、大きいもので厚さ15cmで2m四方程度の岩片が突然ハネてくるので、工事は難航し、岩にロックボルトを打ちつけ、金網を二重に張ることによって、坑内作業の安全を確保しました。
土合駅より
(原文に対して、「仂く」→「働く」と言った置き換えや、カンマ、句読点を適宜付与しています)

雪国を書いた川端康成も、まさか国境の長いトンネルの中に駅が出来るとは、思いも寄らなかったことだろう。

文章中にホームまでの階段には「将来エスカレーターを設ける余裕を残して」とあるが、いまだにエスカレーターは設置されていない。
というより、これからも設置されないだろう。

名所案内には、"谷川岳"とならんで"地下ホーム"と書かれている。
たしかに、階段の前に立つと衝撃を覚える。ほとんどの人は、いままでの生活の中でこれほど長く続く階段は見たことがないことだろう。

どこかのサイトで、「日本一のバリアフリー駅」と書かれてあったが、この言葉はなかなかうまい表現である。
国境の長いトンネルの中には..._b0050623_1347324.jpg

480段余りの階段を下りていると、途中に休憩用のイスがあったり、観光名所としての心配りもバッチリである。
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残り3分の1ぐらいまで降りたところで、上の方から悲鳴が聞こえてくる。
駅の観光に来たグループが、この果てしない階段を見て思わず悲鳴を上げてしまったようだ。

電車は冬期の休日に8往復、それ以外は5往復しかないものの、水上駅から谷川岳へのバスが土合の駅前を通り、比較的本数が多いため、組み合わせて行くと訪問は容易である。
一見の価値があるので、近くに行かれる際は是非この階段を登り降りしてみていただきたい。
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# by touch-go | 2006-04-03 14:39 | コラム
2006年 03月 31日
「雪国」のあふれる人情
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。

青春18きっぷ、というJRの普通列車に1日乗り放題となる切符があるのだが、これを使って日帰りで温泉にでも行こうと思った。

東京から普通列車で日帰りできる越後湯沢が良さそう、と思い、その途中で「汽車が止まった信号所(現在の土樽(つちたる)駅)」に寄ってみた。

で、確かに長いトンネルを抜けると、雪国であった。
そして、ほかに土樽駅で降りる人はいなかった。
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「雪国」のあふれる人情_b0050623_18234757.jpg
駅のまわりを雪が降る中散策すると、駅の裏にある山小屋(ロッジ)以外、何にもない。
店や人家がいっさい無いのである。
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あとで、越後中里方面に歩くことになるのだが、駅から2km以上歩いてやっと人家が現れる、そんな駅であった。

この駅は駅の裏に「土樽スキー場」が直結しており、かつては週末のみ営業していた、とのことだが、年間の利用者数が2,000人に満たないということで、閉鎖されてしまっている。

ネットで土樽駅を検索すると、山歩きをする人たちの拠点として使われているようであり、加えて元々が信号所であったため現在でも信号所として保線の拠点となっており、この2つが駅の機能のほとんどであるようだ。

往来する列車が冬期は8往復(土日ダイヤ)と少ないので、"ご利用は計画的に"する必要がある。
消費者金融のCMで言われているように、駅近くに蓬橋(よもぎばし)なるバス停があり越後湯沢駅まで出られる、ということを"事前にチェック"してあったものの、そのバス停が見あたらない。

駅でじっとしていてもなんだか寂しいのと、肝心のバス停を探すために、バスが走るであろう道を湯沢方面に歩いてみることにした。
道路はきれいに除雪されていて車もほとんど往来しないため、雪が降りしきるものの雪道を歩ける格好をしていれば思いのほか歩きやすい。
# 防寒・防雪をしていないと、イタイ目に遭います。

電線の保守工事作業などを横目に見ながら、2キロほど行ったところに、やっと集落があった。
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まだまだバス停が見あたらないので、とぼとぼ歩いていると、車で通りかかった地元の方が声をかけてくれた。
雪の中、ふらふら歩いているのを不憫に思ってくれたのか、湯沢の駅まで帰り道ついでに車に乗せていってくれるとのことだ。

前にも、伊豆の下田で雨宿りをしているところを、駅まで車に乗せてもらったことがあり、こうした地元に人たちの優しさに感動する。

「雪国」の主人公である島村も、そんな湯沢の人の優しい気質に惹かれたのだろうか。

ありがたく暖かい車に乗せてもらい、いろんな話を聞かせてもらった。
  • 道路脇に雪が3mぐらい積もっているが、これで最高時の半分まで減った
  • 大雪も地元の人からすれば慣れっこである
  • ニュースで今冬の豪雪が話題になったが、1月に降る量が12月中に降っただけであり、ニュースは騒ぎすぎである
  • 融雪装置が道路に埋め込まれており、さらに午前3時から除雪をするので、朝の通勤通学時間帯は何ら問題なく移動できる
  • 除雪した雪は、田畑に一度積んでおき、春に向けて溶かしたり川に捨てたりする

本当に駅の近くまで送ってもらい、その後、そばを食い、温泉に入り、日本酒を購入した。
日帰りで来られる場所として湯沢を選んでおいてこう書くのもどうかと思うが、ぜひ温泉宿に宿泊して夜の温泉街も堪能してみたかった。
越後湯沢から阿佐ヶ谷までは普通列車の乗り継ぎで4時間弱、新幹線を使う場合のおよそ倍の時間であるものの、青春18きっぷを使ったので交通費は約5分の1となっている。

自分も車に乗っていて、雪や雨の中困っている人を見かけたら、送っていってあげるような、そんな人になろう、と帰りの長いトンネルの中思うのであった。

# by touch-go | 2006-03-31 18:25 | コラム
2006年 03月 29日
ようかんがもらえる銀行
ようかんがもらえる銀行_b0050623_1904057.jpg今日は3月29日である。あと2日で平成17年度も終わってしまう。
月日が経つのは、相変わらず早いものである。

職場や学校が変わったり、環境の変化が多い時期である。
業務に関連する法律が変わって4月からシゴトに影響が出る、と言う人もいるだろう。
つい最近も、例のPSE法の本格施行でドタバタしていた。

このPSE法では、中古品販売をレンタルと見なすことで、法律に抵触するのを防ぐ抜け道を作ったのだそうだが、「販売をレンタルと見なす」と言うのはわかりにくい。

「お前のモノはオレのモノ」と見なすジャイアンの方が、まだ子供達にはわかりやすいだろう。

そんな3月の最終週であるが、20年前の1986(昭和61)年3月29日の新聞を見てみると、銀行が顧客獲得のために渡す景品について規制が緩和される、という話題が載っていた。
【顧客離れ防止に銀行界ヤッキ――景品に砂糖など食品も。】
1986(昭和61)年3月29日 日本経済新聞 朝刊

どの銀行も「アイデアで勝負」とばかり準備を進めているのが、窓口で顧客に配布する景品サービス。
従来、金融機関がPR用に顧客に渡す景品は公正取引委員会の規制で厳しい制限がかかっていた。一品当たりの価格も百八十円(仕入れ価格)までで、せいぜいティッシュペーパーやタオルどまり。
四月一日からはこの制限が緩くなる。景品の種類が増えるほか、一品当たり五百円(市場価格)までの商品を出せるようになる。

貯蓄商品にほとんど差のない各行だが、準備中の景品は各行の個性が出ている。これまでになかった食品を景品に出すケースが多い。例えば、ようかん(三菱銀)、砂糖(住友銀)、しょうゆ1リットル(東海銀)、かつお節パック(太陽神戸銀、東京銀)、サラダ油(埼玉銀)など。

ようかんを出す三菱銀は、食後の虫歯予防に配慮して、別途歯みがきセットも用意する気の配りよう。
顧客の好みに合わせて、景品を三十種類以上取りそろえる銀行(第一勧銀、住友銀など)もある。また預金勧誘用の景品と、預金者用、キャンペーン用と景品に格差を設けるきめの細かい作戦を練るところ(富士銀など)もある。
銀行でかつお節パックや砂糖などもらってもうれしくないのは、誰が考えても明らかに思えるが、規制緩和にあわせて各行が競っていたらしい。

当時の運送業者もびっくりしたことだろう。
「これから埼玉銀行にサラダ油を10,000本届けてきます」なんて言っても、ほとんどの人が信じてくれないハズだ。

どうせ何かをくれるのならば、「混雑するATMの列に割込める権利 10回」とか「書類に不備があっても大目に見てくれる権利 1回」をくれた方がうれしい、と思うのはワタクシだけだろうか。

# by touch-go | 2006-03-29 19:02 | コラム