アバウト
by MOGU
お天気
カレンダー
以前の記事
2008年 06月 2008年 03月 2008年 02月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 04月 05日
東京では桜もそろそろ見頃を終え、浮かれ気分で始まった4月もようやく落ち着いてきた。 電車に乗っていると、新社会人らしい男女も長い休みからなんとか生活を切り替えつつあるように見える。 そんな新生活が始まる4月、阿佐ヶ谷にすみかを構え、生活を始めた新入生や新入社員も多いことだろう。 ここでは、そんな阿佐ヶ谷ビギナーに、阿佐ヶ谷における新生活を送る上でのちょっとしたガイドを老婆心ながらまとめてみたいと思う。
これらは、阿佐ヶ谷で生活する上での生活の知恵のごく一部であるものの、これらのことに注意を払い、一日も早く充実した阿佐ヶ谷ライフを過ごしましょう! #
by touch-go
| 2006-04-05 14:43
| コラム
2006年 04月 04日
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。前回、前々回と、この"国境の長いトンネル"である上越線の清水トンネルと新清水トンネルの両側にある駅についてつらつら書いてみた。 少々しつこいが、またもやこのトンネルに関する話題を取上げてみたい。 このトンネルを挟む、水上駅~越後中里駅間には、さきに書いた土合駅、土樽駅に加え、湯桧曽という3駅があるが、今の時期だと平日5往復、休日6往復しか列車がやってこない。 この区間は、上越新幹線の開通によって、東京と新潟を行き来する乗客を完全に新幹線に奪われている。 しかも、土合、土樽は周辺に人家が見あたらないため、この数往復の列車は、さきに書いたように、山歩きをする人と青春18切符で旅行するような人が主な客層であるように見える。 だからといって、利用者が少なくても、ファンキーな土合駅やトンネルを抜けた雪景色を堪能できるこの区間を廃止する、などと言うことは考えないで欲しいものだ。 懐中電灯だけでトンネル通過 JR上越線、室内灯スイッチ入れ忘れ 13キロ余りのトンネルを懐中電灯だけで通過する。ある意味アミューズメントである。トンネルの中にある土合駅でこの電車を待っていたら、1両目2両目とも真っ暗で人が乗っていないこの電車を見て、かなりびっくりしたことだろう。【2003年10月18日 東京読売新聞 朝刊】 17日午後1時40分ごろ、水上町湯檜曽のJR上越線湯檜曽駅で、水上発長岡行き下り普通電車(三両編成)の室内灯がすべて消えているのに車掌が気付いた。 約20分間停車して点検したが原因が分からず、乗客約60人を最後尾の車両に集めて運転を再開。乗客らは、新清水トンネル(全長約13.5キロ)を通過する約15分間を備え付けの懐中電灯四本で過ごした。乗客は越後湯沢駅で別の車両に乗り換えた。 JR東日本高崎支社によると、車掌側の運転台にある室内灯のスイッチが入っていなかった。男性車掌(22)は「スイッチを入れたつもりだった」と話しているという。 さらに、こんなファンキーな人もいた。 上越線清水トンネルを歩いた男女を逮捕 鉄道営業法違反の疑い 駅の460段余りの階段を降りたぐらいでは、健脚ぶりが満たされなかったのだろうか。【1998年9月9日 朝日新聞 朝刊】 7日午後9時10分ごろ、JR上越線清水トンネル(全長13.5キロ)下り線で、普通列車の運転士から、二人の歩行者を見たとの通報がJR東日本新潟支社にあった。 約一時間半後、群馬側から約9キロの地点で、同支社の保線区員が、横浜市の無職男性(53)と女性(56)の夫婦を見つけ、鉄道営業法違反の疑いで現行犯逮捕した。 沼田署の調べでは、土合駅から徒歩で同トンネルに入り、新潟側に抜けようとしたらしい。 捜索の間、上越線は土合―土樽間が約三時間運転を見合わせ、上下四本、約九百人に影響が出た。 もしくは、隣の駅までは、阿佐ヶ谷と高円寺の間くらい距離であろうと思いこみ、歩いていたのかも知れない。 普通列車の運転士も、さぞびっくりしたことだろう。 国境のトンネルを歩いて抜けるのは絶対にやめましょう。 #
by touch-go
| 2006-04-04 14:20
| コラム
2006年 04月 03日
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。川端康成がこの小説を書いたのが、昭和9年から12年である。このころ上越線にある"国境の長いトンネル"(清水トンネル)は一つしか存在していなかった。 単線であった上越線は、戦後の高度経済成長にあわせ複線化され、もう一本の"国境の長いトンネル"(新清水トンネル)が掘られ、有名な土合(どあい)駅のホームができた。 # のちに、上越新幹線の大清水トンネル、関越自動車道の関越トンネルが開通し、"国境の長いトンネル"は、計4本になる。 この土合駅の下りホームは2本目の"国境の長いトンネル"(新清水トンネル)の中にあり、駅舎からは480段以上の階段を降りなければ到達しない、そんなファンキーな駅なのである。 先日も書いた越後湯沢への旅行の途中で、このヘンテコな土合駅にも立ち寄ってみた。 かつては有人駅であったであろう立派な駅舎は無人駅となっており、他に誰もいない構内は静まりかえっていた。 そんな駅の中にいると、水が流れる音と、ときおり「ドスン」と、屋根に積もった雪が解けて地面に落ちる音だけが響く。 待合室には、この"国境の長いトンネル"についての説明書きが張られている。 3本の清水トンネルの歴史
・新清水トンネル
・大清水トンネル
土合駅より 雪国を書いた川端康成も、まさか国境の長いトンネルの中に駅が出来るとは、思いも寄らなかったことだろう。 文章中にホームまでの階段には「将来エスカレーターを設ける余裕を残して」とあるが、いまだにエスカレーターは設置されていない。 というより、これからも設置されないだろう。 名所案内には、"谷川岳"とならんで"地下ホーム"と書かれている。 たしかに、階段の前に立つと衝撃を覚える。ほとんどの人は、いままでの生活の中でこれほど長く続く階段は見たことがないことだろう。 どこかのサイトで、「日本一の非バリアフリー駅」と書かれてあったが、この言葉はなかなかうまい表現である。 480段余りの階段を下りていると、途中に休憩用のイスがあったり、観光名所としての心配りもバッチリである。 駅の観光に来たグループが、この果てしない階段を見て思わず悲鳴を上げてしまったようだ。 電車は冬期の休日に8往復、それ以外は5往復しかないものの、水上駅から谷川岳へのバスが土合の駅前を通り、比較的本数が多いため、組み合わせて行くと訪問は容易である。 一見の価値があるので、近くに行かれる際は是非この階段を登り降りしてみていただきたい。 #
by touch-go
| 2006-04-03 14:39
| コラム
2006年 03月 31日
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 これは、川端康成の小説「雪国」(新潮文庫版)の有名な冒頭である。青春18きっぷ、というJRの普通列車に1日乗り放題となる切符があるのだが、これを使って日帰りで温泉にでも行こうと思った。 東京から普通列車で日帰りできる越後湯沢が良さそう、と思い、その途中で「汽車が止まった信号所(現在の土樽(つちたる)駅)」に寄ってみた。 で、確かに長いトンネルを抜けると、雪国であった。 そして、ほかに土樽駅で降りる人はいなかった。 店や人家がいっさい無いのである。 あとで、越後中里方面に歩くことになるのだが、駅から2km以上歩いてやっと人家が現れる、そんな駅であった。 この駅は駅の裏に「土樽スキー場」が直結しており、かつては週末のみ営業していた、とのことだが、年間の利用者数が2,000人に満たないということで、閉鎖されてしまっている。 ネットで土樽駅を検索すると、山歩きをする人たちの拠点として使われているようであり、加えて元々が信号所であったため現在でも信号所として保線の拠点となっており、この2つが駅の機能のほとんどであるようだ。 往来する列車が冬期は8往復(土日ダイヤ)と少ないので、"ご利用は計画的に"する必要がある。 消費者金融のCMで言われているように、駅近くに蓬橋(よもぎばし)なるバス停があり越後湯沢駅まで出られる、ということを"事前にチェック"してあったものの、そのバス停が見あたらない。 駅でじっとしていてもなんだか寂しいのと、肝心のバス停を探すために、バスが走るであろう道を湯沢方面に歩いてみることにした。 道路はきれいに除雪されていて車もほとんど往来しないため、雪が降りしきるものの雪道を歩ける格好をしていれば思いのほか歩きやすい。 # 防寒・防雪をしていないと、イタイ目に遭います。 電線の保守工事作業などを横目に見ながら、2キロほど行ったところに、やっと集落があった。 まだまだバス停が見あたらないので、とぼとぼ歩いていると、車で通りかかった地元の方が声をかけてくれた。 雪の中、ふらふら歩いているのを不憫に思ってくれたのか、湯沢の駅まで帰り道ついでに車に乗せていってくれるとのことだ。 前にも、伊豆の下田で雨宿りをしているところを、駅まで車に乗せてもらったことがあり、こうした地元に人たちの優しさに感動する。 「雪国」の主人公である島村も、そんな湯沢の人の優しい気質に惹かれたのだろうか。 ありがたく暖かい車に乗せてもらい、いろんな話を聞かせてもらった。
本当に駅の近くまで送ってもらい、その後、そばを食い、温泉に入り、日本酒を購入した。 日帰りで来られる場所として湯沢を選んでおいてこう書くのもどうかと思うが、ぜひ温泉宿に宿泊して夜の温泉街も堪能してみたかった。 越後湯沢から阿佐ヶ谷までは普通列車の乗り継ぎで4時間弱、新幹線を使う場合のおよそ倍の時間であるものの、青春18きっぷを使ったので交通費は約5分の1となっている。 自分も車に乗っていて、雪や雨の中困っている人を見かけたら、送っていってあげるような、そんな人になろう、と帰りの長いトンネルの中思うのであった。 #
by touch-go
| 2006-03-31 18:25
| コラム
2006年 03月 29日
今日は3月29日である。あと2日で平成17年度も終わってしまう。 月日が経つのは、相変わらず早いものである。 職場や学校が変わったり、環境の変化が多い時期である。 業務に関連する法律が変わって4月からシゴトに影響が出る、と言う人もいるだろう。 つい最近も、例のPSE法の本格施行でドタバタしていた。 このPSE法では、中古品販売をレンタルと見なすことで、法律に抵触するのを防ぐ抜け道を作ったのだそうだが、「販売をレンタルと見なす」と言うのはわかりにくい。 「お前のモノはオレのモノ」と見なすジャイアンの方が、まだ子供達にはわかりやすいだろう。 そんな3月の最終週であるが、20年前の1986(昭和61)年3月29日の新聞を見てみると、銀行が顧客獲得のために渡す景品について規制が緩和される、という話題が載っていた。 【顧客離れ防止に銀行界ヤッキ――景品に砂糖など食品も。】 銀行でかつお節パックや砂糖などもらってもうれしくないのは、誰が考えても明らかに思えるが、規制緩和にあわせて各行が競っていたらしい。1986(昭和61)年3月29日 日本経済新聞 朝刊 どの銀行も「アイデアで勝負」とばかり準備を進めているのが、窓口で顧客に配布する景品サービス。 従来、金融機関がPR用に顧客に渡す景品は公正取引委員会の規制で厳しい制限がかかっていた。一品当たりの価格も百八十円(仕入れ価格)までで、せいぜいティッシュペーパーやタオルどまり。 四月一日からはこの制限が緩くなる。景品の種類が増えるほか、一品当たり五百円(市場価格)までの商品を出せるようになる。 貯蓄商品にほとんど差のない各行だが、準備中の景品は各行の個性が出ている。これまでになかった食品を景品に出すケースが多い。例えば、ようかん(三菱銀)、砂糖(住友銀)、しょうゆ1リットル(東海銀)、かつお節パック(太陽神戸銀、東京銀)、サラダ油(埼玉銀)など。 ようかんを出す三菱銀は、食後の虫歯予防に配慮して、別途歯みがきセットも用意する気の配りよう。 顧客の好みに合わせて、景品を三十種類以上取りそろえる銀行(第一勧銀、住友銀など)もある。また預金勧誘用の景品と、預金者用、キャンペーン用と景品に格差を設けるきめの細かい作戦を練るところ(富士銀など)もある。 当時の運送業者もびっくりしたことだろう。 「これから埼玉銀行にサラダ油を10,000本届けてきます」なんて言っても、ほとんどの人が信じてくれないハズだ。 どうせ何かをくれるのならば、「混雑するATMの列に割込める権利 10回」とか「書類に不備があっても大目に見てくれる権利 1回」をくれた方がうれしい、と思うのはワタクシだけだろうか。 #
by touch-go
| 2006-03-29 19:02
| コラム
|
ファン申請 |
||